東へ向かう相談
鵜葺草葺不合命の息子は四人いる。五瀬命、稲氷命、御毛沼命、そしてこのアトラスが神武天皇と呼ぶ末弟である。五瀬命と末弟は、遠く西南の高千穂の宮にともに住み、相談して移動を決めるのも、この二人である。
『古事記』は二つ目の巻を、二人の会話から始める。「どの場所に住めば、最も穏やかに天下を治められるだろうか。おそらく東へ行くのがよいだろう」と言うのである。天の誰かが命じたのではない。皇室を皇室たらしめる移動は、二人の兄弟が自ら下した決断から、肩をすくめるような一文のうちに始まる。旅は長く、ゆっくりと進む。岡田に一年、多祁理に七年、吉備の高島に八年とどまり、戦いが始まるのは白肩の津に到着してからである。
日に向かって受けた傷
登美の長が二人に抵抗し、その矢は五瀬命の手を射る。その傷には神学上の教訓がある。
吾者爲日神之御子。向日而戰不良。故負賤奴之痛手。自今者。行廻而。背負日以撃
「日の神の御子である私が、日に向かって戦うのはよくない。そのために、卑しい敵の痛手を受けたのだ。これからは回り道をし、日を背に負って敵を討とう。」 — 『古事記』中巻、B・H・チェンバレン英訳(一八八二年)より
この悟りは五瀬命のものである。矢がなぜ自分に当たったかを理解するのは彼であり、軍を回らせ、日を背にして南から攻めるよう命じるのも彼である。日に向かって戦うことは自らの祖先に逆らって戦うことであり、それが傷を受けた理由だった。正しい儀礼上の向きはこの一文で定まり、それを見いだした兄は、自ら実践するまで生きられない。
男之水門での死
命令を下した五瀬命は南へ進む。血沼の海に達すると、手の血を洗う。それゆえこの場所は血の海、血沼の海と呼ばれる。さらに進み、紀の国の男之水門で、その傷によって命を失う。
到紀國男之水門而詔。負賤奴之手乎死。爲男建而崩
「『ああ、卑しい敵の手にかかって死ぬとは』と言い、勇ましい男として息を引き取った。」 — 『古事記』中巻、B・H・チェンバレン英訳(一八八二年)より
勇ましさは殺すことではなく、その言葉にある。卑しい敵の手を呪いながら彼は死に、物語は神武天皇へと続く。弟は日を背にして東征を成し遂げることになる。五瀬命は、真実を見て、その代償を払った兄である。その悟りは彼の死後も残る。